現在では様々な場所で紅茶を飲んだり購入したりすることができますが、昔は贅沢品として一部の人しか飲むことができなかった紅茶。
今回は紅茶の歴史を深く追求していくとともに、日本やイギリスにおける世界の紅茶と文化についてまとめてみたいと思います。
Contents
イギリスや世界の紅茶の歴史
そもそも紅茶はいつから飲まれるようになったのか?どのようにして世界中に広まっていったのか?
紅茶に関する素朴な疑問点への答えを明確にしつつ、今日までの紅茶の歴史をご紹介します。
お茶はいつから飲まれるようになったのか?
お茶の始まりは今から1400年以上も前のこと。589年・中国は隋王朝の時代、貴族階級の間だけにお茶が普及しました。
760年の唐王朝の時代になると「茶経」という本が著され、現在では世界初のお茶に関する専門書として知られています。
このようにお紅茶を飲み始めるようになってから長い年月が経過していることが分かりますね。
お茶が飲まれるようになってから現在の間には、茶に使用される茶葉の新種が発見されたり、茶が原因で急襲事件が発生したり…。
これからご紹介する様々な事柄を経て、お茶は世界的に認められ、誰もが手軽に飲むことができる社会的飲料へと発展して行きました。
始まりは中国から
お茶に関する専門書である茶経が中国で発見されていることから、紅茶の始まりは中国からという説があちこちで説かれています。
私たちが「紅茶」と聞くと、爽やかな飲み口やマスカットフレーバーが印象的な紅茶を想像しがちですが、実は紅茶に使用されている茶葉は、その多くが中国で栽培されているという現状もあるのです。
中国南部の雲南省からチベットにかけての山岳地帯は茶葉が育ちやすい環境であるため、お茶の産地としても有名。
中国で採取された茶葉は、完全に発酵させることで紅茶となり、半発酵させるとウーロン茶、発酵させないままだと緑茶に…と、発酵度合いによって同じ茶葉から様々なお茶が作られます。
中国はその広い土地と茶葉の栽培に適した気候で、昔から豊富なお茶を栽培してきました。
しかし、そもそもお茶を栽培する目的は飲むためではなく「健康促進のための薬」として飲まれていたそう。
お茶の始まりである中国ですが、茶葉の栽培が始まったのは4世紀頃です。初めは薬として飲まれていたお茶ですが、7世紀になる頃には緑茶として貴族の日常飲料に。
そして現在の紅茶が誕生したのは10~13世紀頃だと言われていて、この頃には貴族だけではなく一般の人にも紅茶や緑茶が急速に広まっていきます。
中国からヨーロッパへ
中国から始まったお茶文化ですが、「紅茶」としての歴史が本格的に刻まれるようになったのは、紅茶が中国からヨーロッパへ輸入された17世紀頃。
1610年頃にオランダの会社が中国茶を国に持ち帰ったことがきっかけとなり、緑茶を飲む習慣がフランスやイギリスなどの地方へ広まっていったと言われていますよ。
ヨーロッパへの輸入は、オランダの会社が独占的に輸入権を持って行なっていたそうです。
イギリスで紅茶文化が浸透
中国で始まったお茶文化がオランダやフランスに渡り、次に伝わったのがイギリスです。
「紅茶といえばイギリス」なんてイメージも現在では強いですが、当時はイギリスよりもオランダの方が紅茶文化に深い浸透性を見出してました。
というのも、当時のお茶は中国からオランダ経由で輸入されていたためです。
その証拠に、オランダでは1630年頃からお茶を飲む習慣があったのに対し、イギリスは1650年頃になっても喫茶の習慣がなかったことが確認されています。
イギリスで紅茶文化が浸透し始めたのは、1662年にポルトガルの女王キャサリンがイギリス王室へ嫁いだことがきっかけ。
王女キャサリンが王室に嫁ぐ時に大量のお茶と砂糖を持参し、毎日喫茶するようになりました。
すると、そのスタイルがイギリスの貴族たちの間で大流行!紅茶を飲むという習慣は、あっという間にイギリス中に広がることとなったのです。
また、時は流れて1823年。イギリスの冒険家であるロバート・ブルースという人物が、インドのアッサム地方で新種の茶樹を発見しました。
この新種は現在のアッサム種となる茶樹で、1839年にアッサムティーが誕生!ミルクティーに合う濃厚な味わいと深い香りが人気の紅茶と大流行。
そして1845年頃になると「緑茶と紅茶は同じ茶葉から作られている。両者の違いは製法によるもの」という驚きの事実が明らかになり、中国の輸入に頼らなくても紅茶を作れると判明しました。
当時イギリスの植民地であったインドやスリランカでは茶樹が多く自生しており、そこで紅茶の栽培が始められるようになり、イギリスの紅茶文化はさらに急速に発展していくことに。
第三次英蘭戦争
紅茶の輸入を独占的に行っていたオランダに不満を爆発させ、1672〜1674年の間ではイギリスとオランダの間で「第三次英蘭戦争」が始まります。
紅茶の輸入権をめぐって勃発したこの戦争は、イギリスが勝利!
イギリスの思惑どおり、オランダからお茶の輸入権を奪い取り、中国から本格的にお茶を輸入するようになりました。
今まではオランダ経由で紅茶を獲得していたイギリスですが、この第三次英蘭戦争後からは中国とダイレクトに関係を交わせる仲に。
第三次英蘭戦争での勝利が、イギリスで紅茶の文化が発達する大きなターニングポイントにもなったのです。
ボストン茶会事件
中国、ヨーロッパ、イギリスへと海を渡っていった紅茶ですが、18世紀後半にはアメリカでも紅茶が流行りだします。
当時イギリスの植民地であったアメリカが巨大なお茶の消費マーケットとなるやいなや、イギリスはアメリカに対して高額な印紙税法を行いました。
これに対してアメリカ人は、イギリス商品の不買運動を起こすなどをして反発していましたが、ついに反撃!
1773年、ボストン港に停泊していたイギリス船を急激し、積まれていた茶箱を海に投げ捨てるという事件を起こしました。(ボストン茶会事件)
この事件がきっかけとなり、ボストン港以外の港でも同じような事件が連発。その流れで、ついにはアメリカ独立戦争へと発展していきます。
日本における紅茶の歴史は?
日本で喫茶の記録が確認されたのは、815年の平安時代に記録された「日本後紀」。
中国から日本に緑茶が持ち込まれたのはそれ以前の奈良時代だと言われていて、日本独自のお茶文化を確立させてきました。
日本では主に、中国から持ち込まれた緑茶や日本独特の茶道などを中心にお茶文化が世間に根付いていましたが、明治時代になってようやく紅茶がイギリスから輸入され始めたと言います。
当時の政府では、紅茶を輸入するのではなく「なんとか日本で生産できないか」と試行錯誤を繰り返していましたが、中国やインドなどのように良質な紅茶は作ることができませんでした。
1906年になると、輸入食材店のパイオニア的存在である明治屋が「リプトン紅茶」の輸入販売を開始。
当時の日本では「ハイカラな飲み物」として、上流階級の人々を中心に紅茶が流行し始めました。
1971年には紅茶の輸入が自由化され、世界中の紅茶が日本に次々と上陸!世界の紅茶を自由に楽しめる時代が到来です。
そして1972年、現在の日東紅茶(当時の三井紅茶)が念願であった「国産紅茶」生産に成功し、販売を開始。上流階級だけではなく、一般家庭でも気軽に紅茶が飲めるようになりました。
歴史を知ると紅茶がもっと身近に感じられる!
いかがでしたか?
紅茶の文化はとても古く、紅茶をめぐって戦争が勃発してしまうという背景には驚かれた方も多いはず。
今でこそ簡単に手に入る紅茶ですが、時代背景や歴史を知ると、今この時代に生まれてこられてよかったなとも思えてきませんか?
ぜひ、色々な種類の紅茶を楽しんでみましょう!
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