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紅茶の国と聞くとイギリスが思い浮かびますが、初めて紅茶がイギリスに来たのはいつかご存知ですか?
イギリスには紅茶にまつわるエピソードがとても多く、紅茶がきっかけで戦争が起こった事実もあります。
最初は上流階級の楽しみだった紅茶が、労働階級の一般市民にまで普及した時代背景や、紅茶をイギリスに広めた数々の女王達など、紅茶が発展していった経緯についてご紹介します。
それでは、イギリスの紅茶文化の始まりと歴史について見ていきましょう。
Contents
イギリスの紅茶文化の始まり
紅茶の国として有名なイギリスですが、昔から紅茶を楽しんでいたわけではありません。イギリスに初めて紅茶が輸入されたのは17世紀のことでした。
お茶の発祥は紀元前の中国と言われていますが、1630年頃にオランダの商船が中国からお茶を買い付けて、ヨーロッパの周辺諸国に販売したことがきっかけでイギリスでも紅茶が飲まれるようになったのです。
コーヒーハウスの開店
紅茶が持ち込まれる前のイギリスでは、コーヒーやチョコレートを楽しむことが人気でした。
そしてロンドンに初のコーヒーハウス(喫茶店)がオープンし、瞬く間に喫茶ブームが起こりました。
そのコーヒーハウスで紅茶が売り出された当初は、飲み物と言うよりは薬としての効用を宣伝文句としていたようです。
そのためか、始めはあまり受け入れられなかった紅茶ですが、上流階級の間で流行っている憧れの紅茶文化に触れる機会として、コーヒーハウスでも次第に浸透していきました。
しかしこの頃はまだ、男性はコーヒー、女性は紅茶が定番だったようです。
ちなみに、イギリス紅茶で有名なトワイニングの始まりは、「トム」というコーヒーハウスでした。
「トム」は、その隣に紅茶専門店「ゴールデンライオン」を開き、それが現在のトワイニング社となったのです。
イギリスに紅茶を広めた女王達
紅茶の普及において、絶大な力を発揮したイギリスの女王達。
中でもキャサリン女王、メアリ二世女王、アン女王、ヴィクトリア女王は、紅茶好きの方や歴史好きの方なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
キャサリン女王(イギリスに嫁ぎ、紅茶を広める)
1662年、すでにお茶を飲む習慣が貴族の間で定着していたポルトガルから、一人の王女キャサリンがイギリス王室に輿入しました。
キャサリンは、持参金として約束の銀と同じ重さの砂糖、嫁入り道具の茶道具と、茶を飲む習慣を携えてイギリスへ嫁いできました。
それまで茶の習慣がなかったイギリス王室に、茶を楽しむという大きな影響を与えた人物がキャサリン王女だったのです。
メアリ2世(オランダ式喫茶法とシノワズリを持ち込む)
メアリ2世は、夫のウィリアムと共にイギリスに即位し、共同統治を行ったことで有名な女王です。
メアリ2世は、オランダから茶、陶器、漆器などの東洋趣味(シノワズリ)と、当時オランダの上流階級で流行していたオランダ式喫茶法をイギリスに持ち込みました。
東洋の憧れが強かったこの時代に、宮殿の各部屋を飾った東洋風の磁器は大変注目を集め、メアリ2世のようにシノワズリをコレクションすることが上流階級の人々の間で流行することになりました。
アン女王(クイーン・アンスタイルを確立)
メアリ2世の妹で、ステュアート朝最後の君主の娘である女王アンは、大の美食家であり無類のお茶好きとして知られています。
朝食にお茶を飲む習慣を始めたり、お城に茶室を設けて執務中でさえも何度もお茶を飲んでいたと言われています。
そんなアン女王がお茶の時間に使用していたのは、洋梨型の純銀の茶道具や美しい装飾が施された調度品達。
これらは「クイーン・アンスタイル」と呼ばれ、紅茶の様式として確立していきました。
また、高価だった砂糖とミルクをたっぷりとお茶に入れて楽しんでいたアン女王。この頃は、高価なお茶と砂糖をふんだんに使うこの習慣が、富と権力の象徴とされていました。
ヴィクトリア女王(一般市民にも普及、国民飲料として定着)
それまで紅茶は上流階級の間だけで楽しまれていましたが、それを払拭したのがヴィクトリア女王でした。
1837年に即位したヴィクトリア女王は、その後1901年までイギリス女王として君臨し「ヴィクトリアン」という一つの時代を築きました。
ヴィクトリア女王は、自らアルコールよりも紅茶を飲むこと推奨していたこともあり、それが一般市民にも広まり、紅茶が国民飲料として定着していきました。
こうして、王室から上流階級、一般市民にまで広がった紅茶文化には、数々の女王が影響を与えていたのですね。
紅茶のために起こった戦争
19世紀には一般市民にまで広く紅茶が普及したため、当然紅茶の輸入量も増大しました。
特に、それまでイギリスの茶貿易を独占していた東インド会社の独占権が廃止され、貿易が自由競争になったことも大きな要因でした。
紅茶がもたらしたアヘン戦争
紅茶の消費量が増えた当時のイギリスは、中国の清から大量の紅茶を輸入していました。しかし、イギリスから中国に輸出できるものは少なく、貿易は赤字が増える一方でした。
はじめは対価として銀を支払っていましたが、それも底をつき次に着目したのがアヘンでした。
アヘンは清で輸入を禁止していましたが、イギリス人による密輸によって中国に大量のアヘンが持ち込まれたのです。
アヘンによって中国の多くの人々が中毒症状を起こし、それが中国の経済危機にまで発展しました。中国はイギリスからの輸入品をすべて破棄し、それに怒ったイギリスが中国に侵略しました。
これが引き金となり、「アヘン戦争」が始まったのです。
圧倒的な武力で戦いに勝利したイギリスは、香港を占領しさらに中国からの紅茶輸出量を増やしました。
これによりイギリスは紅茶の安定供給を手にし、安価になった紅茶のおかげでさらに紅茶文化が普及していきました。
白熱!ティークリッパーレース
紅茶の輸入が自由化され、一刻でも早くイギリスに紅茶を運ぶことが利益に繋がるため、紅茶を運ぶ専用の快速帆船が現れました。それが「ティークリッパー」です。
中国からイギリスまで紅茶を運ぶ時間が短いほど、紅茶に高値がつけられました。そしていち早く紅茶を運んだ船に賞金を出す「ティークリッパーレース」が始まりました。
特に有名なレースはタエピン号とエアリアル号で、激しいデッドヒートを繰り広げ、ゴールした時の時間差はなんと10分しかなかったと言われています。
こうして白熱したティークリッパーレースですが、1869年にスエズ運河が開通し帆船に代わって蒸気船が主流になったため、ティークリッパーレースの時代は終わりました。
最後の帆船といわれている「カティーサーク号」は、現在イギリスのグリニッジで保存公開されています。観光スポットとしても有名な場所なので、イギリスに行った際にはぜひ立ち寄ってみたいですね。
華麗なるイギリス紅茶の歴史
いかがでしたでしょうか?
イギリスで紅茶文化が広がっていった背景には様々な歴史があります。特にイギリスの女王は、王室から上流階級そして一般市民にまで紅茶を広めた、立役者と言えるのではないでしょうか。
また、紅茶がもたらした悲しい戦争やティーレースなど、紅茶にまつわるエピソードは尽きません。
それだけ人々を魅了した紅茶は、今やイギリスの代名詞ともなり文化や歴史を語る上で、なくてはならない存在になっています。
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